文学フリマ事務局通信

主に文学フリマ事務局代表が書く雑記帳です。

朝日新聞の記事に思う

今朝、朝日新聞の文化欄を開くと驚きの見出しが飛び込んできました。


岐路に立つ「同人誌」 「文学界」での「評」打ち切りにasahi.com 本紙では朝刊34P


内容はご覧いただけばよいのですが、「文学界」の同人雑誌評打ち切りの話題です。

とはいえ、同人雑誌評年内打ち切りの報は5月の時点で伝えられていて、私もその時に5/8付けの事務局通信で以下のように書いています。

驚くと同時に「やっぱりな」とも思う、そんなニュースです。

もう五年ほど前から(あるいはもっと以前から)、同欄では「雑誌の応募数が減っている」としきりに書かれていました。

ただその頃から「同人の高齢化」をその主たる理由として挙げていて、そこに同欄の限界があったような気がします。

そもそも常識的に考えて、若い人たちが同人雑誌を立ち上げた時に、“同人雑誌評”に応募して「69歳から80歳までの4人の評論家」に自分たちの雑誌を評してほしいと思うでしょうか。

面白いもので、このエントリーを書いた直後、西日本新聞から電話取材を受けました。

それは「ハタチの平成」という特集記事になり、5/22付けの西日本新聞に掲載されました。

同人雑誌評の終了を伝えると共に、新しい動きとして「文芸同人誌案内」や「文学フリマ」を紹介し、「同人誌にも未来はある」と締める内容でした。


もう半年近くも前に、そういう記事が出ていたので、まさか今頃になって(それも文学フリマの三日後に)こんな見出しを目にするとは思いませんでした。

しかもこの記事の場合、同人雑誌評が「三田文学」でかろうじて存続することになった、というおそろしくネガティブな締め方になっています。

関係者には失礼な言い方になりますが、「文学界」から「三田文学」というのは誰がどう見ても“都落ち”で、とても「よかったよかった」と言えるような状況ではありません。

むしろ「先行きは暗いなあ」と世の文芸同人たちに思わせる内容です。

さらにこの記事で紹介されている大河内昭爾氏のコメントには首をかしげざるをえません。

評者を28年間つとめた文芸評論家・大河内昭爾氏は「同人の方からは、『文学界』で取り上げられるのが張り合いだったので終了は残念、という手紙をもらった。かつての同人には身銭を切ってでもやる熱意があったが、若い世代にはその心意気が継承されておらず、さびしいが仕方ない」と話す。

若い世代に「身銭を切ってでもやる熱意」がないからダメになった、というのは文学フリマに関わる人であれば納得できない発言ではないでしょうか。

仮にそうだとしても、その心意気を継承できなかったのは若い世代ではなく、その「上の世代」の責任のはずです。

その責任を「さびしいが仕方ない」などという諦念でスルーされたらたまったものではありません。

「あなたがたが20年も30年も評者に居座っているから“同人雑誌評”が“老人雑誌評”*1になってしまったんですよ」と、誰かが言ってあげるべきではないでしょうか。

そして当然、“都落ち”の責任を取って大河内氏は評者を辞任するべきです。

聞けば同人雑誌評の謝礼は一ヶ月ぐらいなら十分に暮らしていけるほどの金額だったそうですから、食うや食わずの若手批評家に譲ってはいかがでしょう。


……

どうも言葉がキツくなってしまいました。

でも文学フリマがあれだけ盛り上がったのに、こういう記事を見せられたので、三日前のあの熱気が幻だったように思えてとても悲しくなってしまったのです。

この記事で語られている「同人誌」と、文学フリマの「同人誌」は別物なのかもしれません。

しかしそれが別物であることがすでにおかしいのだとも思います。

とにかく、文学フリマでするべきことはまだまだあるのではないか、そんな風に考えさせられた記事でした。

*1:この表現は年内打ち切りの発表に際して大河内氏みずからが「同人雑誌を老人雑誌と陰口をきかれる推移は留めようもなく」と記したところからとっています。