文学フリマ事務局通信

主に文学フリマ事務局代表が書く雑記帳です。

平井堅「even if」の謎

昨日、知り合いと平井堅ゲイ疑惑の話題になったのだが、その時今まで疑問に思っていたことがふと解決した。

平井堅の「even if」は彼の歌唱力を堪能できる抑えたアレンジの効いたバラードであるとともに、“さすがに引く”“まじキモイ”と評判の歌詞でしられる曲だ。

内容をまとめると以下のようなストーリーになる。


「お気に入りのお店(BAR?)に“君”を連れてきた“僕”。

しかし“君”は“彼”にもらった指輪を眺めてばかり。

“僕”はいつまでも“君”とここにいられたらと思うが、終電の時間が近付いてくる。

“僕”は屈折した想いを抱えつつ、ただ酔いつぶれてしまう。」


さて、この曲では一番のBメロで以下のような歌詞がある。

君の心に 僕の雫は落ちないけど

このバーボンとカシスソーダがなくなるまでは

君は 君は 僕のものだよね

この歌のイメージでは洒落たカウンターBARで友達同士の男と女が座っているという設定が思い浮かぶので、私は“僕”がバーボンを飲んでいて“君”がカシスソーダを飲んでいるのだと解釈した。

しかし二番のサビでこう歌われている。

君もいっそ酔ってしまえばいい そして彼のことを忘れちゃえばいい

だけど残りのバーボンをいま飲み干して 時計の針を気にした

歌の流れからすればこれは、“僕”の願いもむなしく“君”がまさに帰ろうとしている、という場面である。

しかしそうなると、時計の針を気にする“君”がバーボンを飲んでいて、“僕”の方がカシスソーダを飲んでいることになってしまう。

男女二人でバーに行って男がカシスで女がバーボン?

それはあまりにも絵にならない。

普通に考えれば逆である。

この歌詞の部分だけを見れば、“僕”が本心を隠して「電車、大丈夫?」とかつい気を利かせてしまう情けない様を歌っているようにも解釈できるが、ここに続くフレーズは

そりゃかなり酔っ払っているけど その責任は君なんだから

である。

“僕”には相手の終電を気にするような冷静さは失われているはずだ。

「別の人と指輪を交わした“君”に対して“僕”は本心を言えずについ深酒してしまう」というところに、この主人公の女々しさがうまく描かれているのだから、そうでなくてはこの歌のストーリーが成立しない。

そんなわけで私は常々、このカシスとバーボンの割り振りがおかしいと感じていた。

「バーボン飲んでる女の前で男がカシスソーダなんて頼んだら、そりゃフラれるよな」などと笑っていたのだが、しかし、そうではないのかもしれない。

この歌にはもうひとつの解釈が可能だ。

つまり、“君”が女であるとは限らない。

“僕”が片思いしている“君”とは、男性なのではないだろうか?

そう考えるとカシスとバーボンの謎はすんなり解ける。

“僕”の方は女々しい人物として描かれているのだから、カシスソーダを飲んでいるのも性格描写のひとつとして納得だ。


歌詞の全体を見渡しても“君”のことを彼女と呼んだりはしていないのだから、相手が女性だろうというのは私の先入観にすぎなかった。

自由な恋愛、個性の尊重が叫ばれている中で、自分の頭がいかに固かったかを思い知らされた。

もちろんこの歌は普通に男女の恋愛のドラマとして聴ける。

女がバーボンで男がカシスを飲んだって、別に何も悪い事じゃない。

一方で男女以外の組み合わせでも成立するラブソングとして「even if」はある。

恋愛のカタチがひとつではないことを平井堅は知っている。

すべての人に開かれたラブソングだからこそ、彼の歌は多くの人々に受け入れられるのだろう。