文学フリマ事務局通信

主に文学フリマ事務局代表が書く雑記帳です。

清水エスパルス、J1残留決定と澤登正朗選手の引退に思う

私の愛読するピート・ハミルの『ブルックリン物語』(ちくま文庫)の訳者あとがきにおいて、常盤新平はブルックリンにまつわるエピソードをいくつか紹介している。

その中で私が印象深く覚えている事柄は二つある。

ひとつめはブルックリンがニューヨーク市に合併されていなければアメリカ第四の都市になっていたと言われていること(ピート・ハミルもこの合併は「大失敗」だったと言っているそうだ)。

もうひとつは、あのメジャーリーグドジャースは、もともとは「ブルックリン・ドジャース」だったが大型球場の本拠地を今のロサンゼルスへ移したということ。

現在のブルックリンとは、本来あった可能性を奪われ凋落した姿なのではないか。

ブルックリンにまつわるこのセンチメンタルなエピソードは、私の故郷・清水のことをどうしても思い出させる。


私の父は静岡県清水市の出身であり、祖母は亡くなるまで清水市に住み続けた。

東京生まれの私にとって、清水は幼少の頃から長期休暇のたびに訪れる実家であり、精神的には故郷そのものであった。

二年前、清水市静岡市と合併することで、地図上から名前が消えてしまった。

古くは次郎長、新しくは『ちびまるこちゃん』で知られるあの清水市が「静岡市」になってしまったのである。

伝統ある港町の名前が合理化の下にあっさり消滅してしまったことには驚いたし、また密かに故郷喪失者の気分を味わった。

だが、清水の名前はまだ残っている、と私は思った。

それも清水という町の代名詞であるサッカーの世界に。

清水エスパルス」である。

私にとって、Jリーグ設立以来サポーターであり続けたチームは、失われた故郷の象徴の役割まで果たすようになった。


しかし、影響があるのかどうかはわからないが、合併以降の清水エスパルスはJ1の降格争いの常連チームとなっている。

特に昨シーズンはきわどい残留であり、歯噛みする思いでそれを見ていた。

清水エスパルスが表舞台から消えることは、私にとって本当に故郷が消え失せてしまうことと同義だからだ。

いや、ブルックリンの例を考えれば、私の個人的な感情の問題では済まされないと思う。

エスパルスがなければ、清水の名前はたちまち一般的な日本人の頭からは消え去り、「サッカーの町」と言えば磐田か鹿島のことになり、『ちびまるこちゃん』は「静岡」のマンガになってしまうに違いないのだ。

逆に言えば、清水エスパルスがあるかぎり、そのすべては「清水」のものとして人々の記憶に残り続ける。

だからエスパルスはなにがなんでも降格してはいけない。


2005年のエスパルス長谷川健太を監督に迎えた。

長谷川健太と言えば生粋の清水出身選手である。

そして、その長谷川健太エスパルスに在籍し続けてJ1最多出場記録を更新している大ベテラン・澤登正朗をスタメンで起用し始めた。

この二人のミスターエスパルスの色が前面に出たことは、まるでチームが「清水」というホームへの回帰を宣言しているように見えた。

成績は必ずしも芳しいものではなかったが、引き分けを繰り返すことも負けないチームとして肯定的にうつった。

去年は切実に降格を心配したが、今年はなぜか残留できるような気がしたのである。

そして来年はこの二人の結びつきがより好成績をもたらしてくれるのではないかとまで期待した。

がしかし、先日、澤登の今期限りでの引退が発表された。

「そういうことか」と思った。

今日の鹿島アントラーズ戦が澤登のホームでのラストゲーム

結果は引き分けだったが、この勝ち点でエスパルスは自力残留を決めた。

澤登は1アシストの活躍だったという。

もちろん、勝てた方が良かった。

だが、引き分けでもいい、清水エスパルスは絶対にJ1で戦い続けなくてはいけない。

J1最多出場のミスターエスパルス・澤登のホームラストゲームが残留を決める試合となったことは、まるでそんな私の一方的な思い入れに答えてくれているようだった。


来年も、「清水」の名前を背負ってエスパルスはJ1の舞台で戦い続ける。